February 28, 2005
母熊を失った一頭の子熊は、森の中で猟師に撃たれ傷ついた大きな雄熊と出会い、共に暮らすようになる。しかし2頭を猟師が追い始めて...。
自然は美しくもありますが、母親を失った子熊には苛酷な環境でもあります(もし子熊が雄熊と出会って心を通わせることが出来なかったら、子熊は長くは生きていられなかったでしょう)。この作品では自然の美しさと過酷さももちろんなんですが、その中で生きる熊たちの愛らしさやユーモラスなしぐさが観ていてとても楽しいのです。例えば雄熊が森で雌熊と出会って大人の時間を過ごすわけですが、子熊は当然お子様お断りの時間と言うことで相手にされず、その辺で時間をつぶさなければならなくなるんです。で、そのときについキノコ(これが真っ赤っかでいかにもヤバそうなキノコなんですね~)を食べてしまい、トリップして見る夢が花はゆらゆら、チョウチョはひ~らひらって感じで実に面白いのです。この他にも猟師に捕まった子熊がコンデンスミルクに味をしめてしまい、猟師の留守中に宿営地を引っかき回してコンデンスミルクを全部なめてしまうシーンもあるんですが、まわりにつながれている馬や犬の迷惑そうな顔...。観ていて吹き出してしまいました。ドキュメンタリーではないのですが、壮大な自然とその中で生きる熊たちの姿を楽しめる作品です。
*この映画、もともとはフランス映画で原題は「熊たち」って言う意味だとどこかで聞いた覚えがあります。「子熊物語」というタイトルはちょっと失敗だったような気がします。
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February 27, 2005
大国によるにらみ合いと軍備競争が続く近未来の地球。その地球にある日突然、異星人の大船団が現れた。異星人はたちまち地球を掌握し、地球は異星人の管理と指導の下に発展を続けるが...。
異星人の指導の下に冷戦も解消し、人類は発展の道を歩むと言うよく考えてみるとかなり情けない状態で物語は続きます(もっともアメリカ人あたりは優れた存在の管理と指導の下に人類が発展するなんていうシチュエーションを好みそうですが。自分たちが他の国に駐留して管理と指導をやってるようだし)。人類を指導しながら、自分たちは決して姿を見せようとしない異星人たち(後になってその理由が分かるわけですが)。そして、異星人たちもまたより高度な存在からの指示によって人類の発展を促しに来たに過ぎなかった事実が明らかになります。なぜそこまでして人類の発展を促すのか?資源が欲しいだけなら人類を指導する必要はないはずだし、労働力ならロボットで十分なはずです。物語が終盤に近付くにつれて異星人たちの真の目的も、この作品のタイトルの意味も分かってきます。ただ、人類は本当に幼年期を終えて次のステップへ進むだけの資格のある種族なのだろうかと読み終えてからしばらく考え込んでしまいましたが...。
*ところでこの作品、以前は「地球」がなくて「幼年期の終わり」というタイトルだったような。
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February 26, 2005
紀元前100万年。地球には恐竜がのし歩き、人類はまだ言葉を持たないまま恐竜の目から逃れるように生きていた。谷の部族の族長の息子、トマクは谷を追われ、さまよううちに海辺の部族の娘、ロワナ(演じるのはラクウェル・ウェルチ)に助けられる...。
ご存知レイ・ハリーハウゼン御大による特撮が光る映画です。この映画もまた御大によって命を吹き込まれた恐竜たちが大活躍します。例えば海辺の部族の村に襲いかかる肉食恐竜が主人公たちと戦うシーンがあるんですが、主人公たちの槍の動きと、肉食恐竜が槍に噛み付こうとする動きがぴったり合っているのです。同じハリーハウゼン御大による特撮「
アルゴ探検隊の大冒険」、「
タイタンの戦い」や「
シンドバッド黄金の航海」に出てくる想像上のクリーチャーたちの動きも観ていて実に楽しいですが、この作品に出てくる恐竜たちもどことなくかつて地上に実在した生物らしいリアルさと独特の動きが感じられるところが楽しいです。ヒロインをさらった翼竜が他の翼竜と獲物(ヒロイン)を奪い合うシーンでは、以前に動物番組で見たことのあるカツオドリだかグンカンドリだかが獲物を奪い合うシーンを思い出しました。お子さんは恐竜が出てきて大喜び、オトーサンはヒロインその他の女優陣のビキニ姿(ビキニ姿でプロレスまでやります。でもエロまではいかないですね。健康的なお色気と言うところでしょうか)に大喜びと一家そろって楽しめる作品です。
*イグアナと亀も御大による特撮で観てみたかったな~。
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February 25, 2005
*「霧」は、「スケルトン・クルー〈1〉骸骨乗組員」に収録されています。
ある日突然町を覆った「霧」。その霧の中には異形の怪物たちがひそんでいた。主人公の親子は買い物中にショッピングセンターに閉じ込められ、必死の脱出を試みるが...。
平和な日常を突然襲った悪夢。霧に包まれ、視界がきかない不安と恐怖をさらに煽るように異形の怪物たちが見え隠れします。ショッピングセンターに閉じ込められた人々も時がたつにつれて本性があらわになってゆき(人間の本性も異形の怪物たちに負けず劣らず醜悪ですね...)、次第に異形の怪物たちの餌食になるものも増えてきます。怪物たちとの攻防戦もそうなんですが、恐怖のあまりおかしくなってしまった女性が制止を振り切って外に出てしまい、(やっぱりというか)霧の向こうにさらわれていってしまうところが妙にリアルで読んでいてぞっとしてきます。脱出を敢行した主人公たちが出会う怪物(これがまた、霧が晴れていても絶対にお会いしたくないような代物だったりします)もキョーレツです。そしてラスト、絶望に駆られた主人公たちにかすかに残された「希望」。キング版の「
鳥」と言えるのではないかと思う作品です。
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February 21, 2005
古代日本。大和の国の皇子オウスノミコト(後の日本武尊-ヤマトタケルノミコト-。演じるのは三船敏郎)は兄皇子を殺したために父帝の不興を買い、熊襲征伐を命じられる。オウスノミコトはおばの衣装をはなむけにもらい、勇んで征伐に出かけるが...。
歴史スペクタクルものというと「
天地創造」や「
十戒」がありますが、この映画は日本版の歴史スペクタクルと言えると思います。国造りのエピソードに始まり、主人公の日本各地でのエピソードを縦糸に、主人公が尊敬していたスサノオやアマテラスのエピソードを横糸にして物語は進んでいきます。天岩戸のエピソードや、ヤマトタケルノミコトが日本各地を巡ってゆくエピソードは誰でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。もちろんスサノオとヤマタノオロチの戦いもしっかりと出てきます。ヤマタノオロチが酒ばっかり飲んでるせいか動きが鈍くて、スサノオの剣の舞いがあまり引き立ってなかったような気がしますが、ヤマタノオロチの出現のシーンなどは禍々しさ満点です。観ていて一番印象に残ったのはラスト近く、主人公が父帝への謀反の疑いをかけられて殺された後のシーンです。主人公の魂が白鳥に姿を変えて山の上を飛んでいくんですが、鳥が通り過ぎた後で一気に山が噴火し、主人公を討った朝廷の兵士たちが次々と溶岩流に飲まれていくところが凄い迫力でした。妙な脚色はしていませんので、古代日本に興味のある方にも歴史スペクタクルものが好きな方にもお勧めです。
*古代日本に興味のある方には阿刀田 高氏の小説
「
楽しい古事記」もお勧めです。
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February 20, 2005
戦国時代。織田信長の居城・安土城に招かれた宣教師ルイス・フロイスは信長に問われるままに古代のアレクサンドロス大王の生涯を語り始める。語り進めていくうちにフロイスはアレクサンドロス大王と信長との奇妙な相似に気付き始め...。
物語はフロイスが信長に呼び出されるたびにアレクサンドロスの生涯を語るという形で進んでいきます。必ずしもしっくり行かなかった親子関係(信長の場合には親から嫌われていたようですが)。国を継いだ後、瞬く間に世界を席巻した征服王としての手腕。新しい武器を積極的に取り入れる先進性。自分を神とみなし、周囲にも自分を神とあがめるよう命じる精神。そして、...築き上げた帝国が自身の死によってあっけなく崩壊してしまうところまでアレクサンドロスと信長は似ていました。そしてフロイスだけが気づいたもう一つの点でも両者はそっくりだったのです。物語も信長が本能寺の変で斃れ、全てが空しくなったところで幕を閉じますが、二人のどちらもが歴史がつかの間夢見た幻想の存在であったのかもしれません。
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February 19, 2005
1900年のオーストラリア。名門寄宿生女子学校の生徒たちは聖バレンタインデーに郊外の岩山(ハンギングロック)へとピクニックに出かけた。ところが、生徒たち3名と1人の女教師が行方不明になってしまう。数日後に生徒のうち1人が岩屋まで発見されるが、彼女は行方不明になったときの記憶を失っていた...。
現実なのか空想なのか境界がはっきりしないような(しかし、とても美しいのです)映像、失踪した少女の1人がピクニックに出かける前に友人に言い残したなんとも意味深なせりふ、下着姿で山へ向かおうとしていたというこれも失踪した女教師、そして失踪した少女たちの美しさ(特にミランダ役の少女、まるで絵画から抜け出してきたみたいです)。この映画には観るだけで気分の悪くなるようなグロテスクな描写も恐怖をあおるような演出もありません。むしろ映像は夢の中のように美しいのに恐ろしさを感じさせるのです。夕方、陽が落ちたか落ちないかくらいの頃に妙に静かで澄んだ雰囲気になって普段自分が住んでいるところとは全く別の場所に迷い込んだような錯覚を覚えることがありますが、この映画に感じるものもちょっと似ているのかも。たまたまピクニックに行くことが出来なくて寄宿舎に残っていた少女も失踪したミランダの後を追うようにこの世に別れを告げていきます。彼女ももしピクニックに行っていればミランダたちと同じように失踪していたのかもしれません。この話は現実に起こったことなのか、それとも空想なのか?失踪した少女たちに何が起こったのか?ハンギングロックは何も語ってはくれません。
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February 18, 2005
この作品は、著者がイギリスに留学したときの体験をもとに書かれた、主にイギリスの食事についての楽しいエッセイです。
イギリス料理というとまずいものというイメージがあるらしく(私は知らなかったんですが、ジョークで「最低の生活とは...日本の家に住み、イギリス人のコックを雇うことである」なんてのもあるらしいです)、この作品でもそりゃないだろと言うのがいくつか出てきます。例えばビクトリア女王の時代から読み継がれている料理の本があるらしいのですが、とにかく塩をふって煮る煮る煮る(素材はともかく、料理法にかなり問題あり)。野菜でも何でもこれでもかと言うほどに煮るそうです。こんなに煮てしまったら栄養はみんなどっかに飛んでいってしまいそうなんですが、それでも煮ると。この本を読んでいるとイギリスのホテルに行って食事をするのは避けようかと言う気になってきます。もっとも全てがまずくてやってられないと言うわけではなく、例えば一口サイズのちょっと酸味のきいたりんごやフィッシュアンドチップス(魚の白身のフライとポテトフライですが)なんて(おしゃれとはいえないけど)結構おいしそうですし、アフタヌーンティーの習慣も読んでいて非常に楽しくなってきました。一日のうちで1回はかならずアフタヌーンティー(スコーン付きで)のような時間を持った方が、時間に追われて終業時間まで目を血走らせて働くよりよっぽど人間的ですよね。読んでいるだけでもゆったりとした気分になってくる本です。
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February 15, 2005
金庫破りのオーシャン(演じるのはジョージ・クルーニー)は出所後、元彼女(演じるのはジュリア・ロバーツ)を取り戻すためラスベガスの金庫襲撃を計画、相棒(演じるのはブラッド・ピット)と共に仲間を集める。果たして計画はうまくいくのか?
犯罪者の主人公を嫌ってラスベガスの事業家とつきあう元彼女。彼女を取り戻し、事業家に一泡吹かせるため計画を練るオーシャンと仲間たち。ところが仲間の1人(最年少)が先走ったおかげで計画は狂うは、仲間の1人が怪我をしてしまうは、おまけに事業家に計画を感づかれてオーシャンが捕まるは...。最後まで計画がうまくいくのかどうかはらはらさせられます。敵役の事業家(演じるのはアンディ・ガルシア)も憎々しくてうまいですね~。犯罪映画ではあるんですが、暴力シーンはほとんどなく、豪華キャストとユーモアたっぷりの華麗なる盗みのテクニックを楽しめる映画です。元彼女が添え物っぽい扱いだったのがちょっと残念だったかな。
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February 14, 2005
この本は、現在日本に起こりつつある社会の変化を分析した本です。
学校を出て就職・結婚して働き続ければとりあえず給料は上がって退職後もそこそこの生活を楽しめた時代から、学校を出ても就職先も昇給も保証されず(そもそも学校にさえ行けなくなる人も増える)、結婚してもいつ離婚するか(離婚されるか)分からないリスクの時代へ。高収入で子供の教育に多額の資金を投じることの出来る「勝ち組」と、子供どころか自分たちの生活がやっとの「負け組」(それでも子供を欲しがるため、生活はさらに貧乏に...)に分かれていく日本。負け組が自暴自棄になって起こす「不幸の道連れ犯罪」が増えていくだろうというくだりでは、最近起こった幼女や赤ん坊が無造作に殺された事件が真っ先に頭に浮かびました。もちろん勝ち組だっているわけですし今の政策はできるだけ勝ち組を優遇して日本全体の経済を引っ張らせようと言うことなのでしょうが、大多数の負け組がその恩恵にあずかることは多分ほとんどない。そしていつのまにか出来上がっている「負け組になったのは本人の責任」というイメージ。
読んでいて暗澹としてきますが、「ではどうすればいいのか?」の部分はこの本には出てきません。この本の役目は分析だけ、あとは自己責任で考えろと言うことなのかもしれませんが...。
*これまでの教育は過大すぎる自分の将来への期待を時間をかけて少しずつあきらめさせるという機能も持っていた...というくだりは目からウロコでした。そして、学校に行くことに意味がなくなりつつあればこの機能も失われ、自分の将来に大きすぎる夢を抱えたまま生きる若者たちが増えると言うくだりも。
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February 13, 2005
地球の数千倍の質量をもつ妖星・ゴラスが地球に接近しつつあることが判明。このままではゴラスの引力によって地球が破壊される。カタストロフを阻止するために人類は決死の努力を開始した...。果たして人類は破滅を免れることが出来るのか?
ゴラスの爆破は不可能と分かったとき、「地球が動くしかない」。人類は一丸となって南極にロケット噴射基地を作り、地球を軌道から動かしてゴラスから逃れようとします。つまり、地球ごとロケットにして逃げ出そうと言うアイデアなんですが、これだけでもワクワクしてきます。着々と建設される基地。ゴラスが近付いてきたことによって起きる天変地異(人類は地下にもぐって避難してたんでしょうか?)。この天変地異はついでに南極に眠っていた巨大なセイウチ怪獣・マグマ(このマグマ、確か「
DVD ウルトラQ VOL.7」にも出演していたような...)まで呼び覚ましてしまうのでした。いかにも付け足しという雰囲気が見え見えのマグマをめでたく倒した後、大幅に遅れたスケジュールを取り戻すべく突貫工事で基地の建設はさらに進みます。そしてゴラスが近付く運命の日...。人類が固唾をのんで見守る中、地球はゴラスの巨大な引力を振り切ることに遂に成功したのでした。ラストの「さあ、今度は北極に基地を作って地球を元の軌道に戻さねば!」(うろ覚えなのでせりふはかなり違ってると思います)のなんとも明るいこと。「科学力の勝利」を無条件に信じることが出来た時代の、観ているだけで楽しくなってくる空想科学映画です。
*同じ頃作られたスペクタルパニック映画に「
世界大戦争」があるんですが、ムードも結末もゴラスとは正反対ですね。あの作品はやりきれなかった...。
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February 12, 2005
江戸時代。鍼医者として働く藤枝梅安には金で殺しを請け負う仕掛人としてのもう一つの顔があった...。
鍼医者として病に苦しむ人を救う表の顔と、金ずくで殺しを請け負う仕掛人としての裏の顔...。その両方を持つのが藤枝梅安でした。一度闇の稼業に足を突っ込んでしまえばしがらみが出来てしまい、抜け出そうにも抜け出せない。「
鬼平犯科帳」のせりふだったと思うんですが、人間と言うものは悪事を働きながら善い事に精を出すものだという言葉がぴったり来ると思います。主人公のネーミングも闇の気配が漂っていてうまいなと感心したんですが、闇の世界で使われる「起こり」や「蔓」と言う用語ももしかしたら本当に使われていたのかもしれないと思わせるリアリティがあってうまいです(当時の闇世界のことなんて記録に残っているわけはないんですが)。自分もまたいつかは殺されることを覚悟していながら、それでも毎日を(表の世界でも裏でも)生き抜く主人公。読んですっきり爽快になるというタイプの作品ではありませんが、江戸を舞台にした世話物などが好きな方にはお勧めです。
*この作品も池波正太郎氏の他の作品と同様に料理の描写が結構出てくるんですが、そんなに豪華な料理が出てきているわけではないけれどいかにもおいしそうです。
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February 11, 2005
人間の脳とネットワークがたやすく接続できるようになった結果、ハッキングなどのネットワーク犯罪が激増した近未来。公安9課に所属する「少佐」、草薙素子は国際的テロリストの「人形使い」を追うが...。
大脳とネットワークを接続した結果、大量の情報を簡単に入手できるようになった近未来。肉体の方もサイボーグ化すれば素晴らしい肉体を手に入れることが出来ます。しかし、一度ハッキングを受けて脳への侵入を許してしまえば記憶まで書き換えられ、他人にたやすく操られることにもなります。主人公は体の方もサイボーグ化して残った生身の部分といえば脳の一部だけ。自分は人間なのか、ネットワーク上の人工知能とどこが違うのかと疑問を抱きながら人形遣いを追っていきます。この映画が公開された当時より今の方がコンピュータネットワークも広がってますしよほど映画の世界に近付いてきてますが(人体にチップを埋め込んで犯罪予防に...なんて話もあるようですが)、いつかはこの映画のように人間と人工知能との境界があいまいになってぼやけていくのかもしれません。肉体と言う入れ物を取り去ってしまえばこの自分はネットワークに浮かぶ0と1の集合に過ぎないのではないか、と。
*この作品の後日談といえると思うのが「イノセンス」です。映像は綺麗ですが(主人公たちが北の街へ赴くシーンでは、「
ブレードランナー」の1シーンを思い出しました)、監督の趣味に走りすぎてインパクトとしては「攻殻機動隊」ほどではないかな。
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February 10, 2005
超能力者からなる国際的諜報組織「エスパイ」。エスパイの一員である田村良夫はソ連首相暗殺を阻止すると言う使命を持って動き始めるが、敵の組織もまた超能力者の集団だった...。
小松左京氏による超能力+アクション(+お色気)小説です。エスパー+スパイで「エスパイ」と大変分かりやすいタイトルで、主人公はのっけから生命を狙われます(主人公が生き延びるために必死の努力をしているときに、周りからは飛行機恐怖症くらいにしか思われないギャップが笑えます)。ヒロインとの恋あり、ソ連首相暗殺を阻止するための決死の活躍あり、そして主人公の活躍の場は宇宙にまで広がった末に敵の組織のリーダーの意外な正体を知るのです。主人公もヒロインも敵との戦いの中で新しい能力を身につけるわけですが、ヒロインには一日も早く新しい能力をコントロールできるようになっていただきたい(笑)。眉間に皺を寄せて読みたくなる「
日本沈没」や「
復活の日」と違って、肩がこらずに楽しめる作品です。
*飛行機に乗っているときに隣の席の人が脂汗を流しているとしたら、その人はもしかしたら飛行機に仕掛けられた爆弾を解体するのに必死なのかも...(笑)。
*この作品、映画化もされています。原作と違って主人公(演じるのは藤岡弘氏)が「愛」を連発するのにはちょっと引きますが、ヒロインのナイスバディを楽しめる作品です。超能力の描写は「がんばりましょう」...かな。
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February 07, 2005
1930年代の大恐慌にあえぐアメリカ。ボニーとクライドの二人は銀行強盗を重ねて悪名高い存在となるが、二人の行く手に待つものは...。
明日が無いから明日のために働くわけが無い。明日が無いから今のために刹那的な犯罪を繰り返す。銀行強盗を重ね、人を殺しながら生き続ける二人(ある州で銀行強盗を働いても別の州に入ってしまえば捕まらないというのはこの映画で初めて知りました。州ごとに法律が違うんですね~)。銀行ばかりを襲い、いつしかヒーロー的存在となりますが行く手に待つものは決まっていました。途中から仲間に加わるが無残な最期を遂げるクライドの兄。家族とランチを楽しむが、一生逃げ回るしかないんだとつぶやいて去っていくボニーの母。二人にあこがれて仲間に加わるが、将来を案じた父親によって結果的には二人を売ることになった少年。そして最期に...分かってはいても、衝撃的なラスト「死のダンス」です。
*クライドの兄の奥さん役(エステル・パーソンズ)がうまいです。オバサンのずうずうしさといやらしさが見事に出てます(笑)。
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February 06, 2005
この作品は、海洋国家ヴェネツィアのはじまりからナポレオンによって独立国家としての形が終わるまでの約1000年にわたる歴史を丹念に描いたものです。
まず国家としてより前に人間が住める土地としての建設が始まり(確かどこかに「ビーバーの国」とかいう言い回しがあったと思いますが、本当にビーバーとして働かないと住める土地にはならなかったようです)、次第に力を付けていくにつれて地中海の覇権をジェノヴァと争い、キリスト教が大きな力を持った中世でも平気で異教徒と交易し、時には貿易の利権を守るためキリスト教国の一員としてオスマントルコと争い、...。非常に態度が現実的(利権を守るのが最優先事項)です。ヴェネツィアの市民は若い頃から商人として経験を積み、老練な商人が外交官になったり海戦の指揮官になったりした(商人であれば海賊やライバル対策として戦闘経験はたいていあったようです)のが影響しているのでしょう。読んでいて面白かったのが地中海のライバル、ジェノヴァとの対比です。ジェノヴァはどちらかというと個人個人の能力が非常に高く、個人で勝負するところがあったが、ヴェネツィアは逆に組織力でジェノヴァに対抗していたようです。結果的にはヴェネツィアの隆盛が長く続くわけですが、歴史の中では個人よりは組織としての力を充実させた方が長続きするのだろうかと考えさせられます。ちょっと長いですが、ヨーロッパの歴史に興味のある方にはお勧めです。
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February 05, 2005
小さな島で生まれ育ち、セールスマンとして生まれ育った町で働くトゥルーマン。しかし彼は生まれたときから自分の一挙一動がTVショーで放映されているとは知らなかった...。
誰でも他人の生活をのぞいてみたいという欲求はあるのでしょう(だから芸能番組やゴシップネタが大流行なのだと思います)。しかし、自分のやることなすことが、しかも生まれたときから全てTVで放映されていたとしたら...。この映画の主人公はまさにそんな状態に置かれていました。幼い頃に海岸で怖い思いをしたため(たぶんTV局が故意にやったのでしょうが)、島を出ることは旅行どころか就職でも考えようともしない主人公。優しい妻、気のおけない友人。小さいが居心地の良い町。そのどれもがTVのセットで、現実には存在しない虚構の存在でした。妻も友人たちも俳優としてTV番組に出演しているだけだったのです。気がついていないのは主演の主人公だけ。しかし、どこかおかしいことに気がついて主人公は島を出る決心をします。苦労して船出し、嵐を乗り越えて島を出た主人公が見出したものは...。自分が現実だと信じていたものが実は虚構に過ぎなかったと分かったら自分だったらどうなってしまうのだろうかと考えさせられる作品です。
*主演のジム・キャリーはもちろんですが、エド・ハリスの演技もうまいです。彼は主人公にとって天使なのか悪魔なのか...
*自分が「現実」だと信じていたものが実は誰かの書いた脚本に沿って演技しているだけだった...というと、アニメの「THE ビッグオー」を思い出します。この作品もまた「現実ってなんだろう」と考えさせられます。
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February 04, 2005
日本を代表する航空会社・国民航空。恩地はエリート社員として将来を嘱望されながら労働組合に関わったことから海外の僻地への駐在を連続して命じられる。黙々と僻地勤務をこなす恩地だったが、御巣鷹山で大惨事が発生し...。
エリートとして将来の幹部候補の呼び声も高かったのに労働組合に関わったことで中近東、アフリカへの勤務を連続して命じられる主人公(「島流し」ですよね、これ)。黙々と仕事をこなし、高い業績を上げますが心は確実にすさんでいきました。アフリカで剥製に向かって猟銃をぶっ放し、次々に打ち壊して行くところに主人公の心の荒み具合を感じます。...が、そこまで冷遇され続けてもなお会社にしがみつき続ける気持ちが実はあまり理解できなかったのです。もともと優秀で業績も上げているのであれば他の会社でも活躍できそうな気がするのです。こんな風に思うのは今が転職当たり前の時代だからなのかもしれませんが。
そして起こる御巣鷹山の大惨事。当時はまだ学生でしたが、テレビでアナウンサーがひたすら乗客の方々の氏名を読み上げ続けていたのがいまだに記憶に残っています。この作品は実在する会社と人物をモデルにしていますが、御巣鷹山編だけは正直言ってあまり読み返す気にならない部分です。当時の衝撃が蘇ってきそうで...。
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